大宅賞作家が5年かけて執筆した『豊田章男が愛したテストドライバー』。この師弟の存在なくして、トヨタ再生は語れない!

 
 「いいクルマを作ろう」。豊田章男社長が会見のたびに繰り返す、この抽象的な概念。当初、社内外で戸惑いの声があがりました。しかし、この言葉には、あるドラマが隠されていました。『豊田章男が愛したテストドライバー』は、彼の経営観に大きな影響を及ぼしたあるテストドライバーの足跡を追ったビジネスノンフィクションです。

 
 この物語は、ある新聞記事から始まりました。2011年6月24日。著者は、新聞朝刊にあるベタ記事を見つけます。<成瀬弘氏が開発中に事故死・・・数々のスポーツ車の開発に携わった「伝説のテストドライバー」で・・・豊田章男社長は成瀬氏を「師」と仰いでいた>。

 著者は、モータースポーツの愛好家でも、自動車業界の専門記者でもありません。でも気になった。一介の開発者がなぜ豊田社長に「師」と仰がれるのか。なぜ熟練のテストドライバーが事故死したのか。そもそもテストドライバーの仕事とは・・・。自動車業界に何のツテもなかった著者は、そこでトヨタ自動車に一枚のファックスを送ります。成瀬弘のことを知りたい、と。

 

 それから本が刊行されるまでに5年。取材に時間がかかったのは、成瀬弘氏の足跡を辿ることは、すなわち豊田章男氏の経営観を辿ることとイコールだったからです。豊田氏は、慶應大学卒、米国でMBA取得、投資銀行勤務など、華々しい経歴を歩んできた人間ですが、一方で創業家という出自ゆえ、彼のことを「色眼鏡」で見てしまう人間が多かったようです。そんな豊田氏が本当の父のように、兄のように、親友のように関係性を持てた数少ない人間が成瀬氏です。

 

 2人の出会いは約15年前。成瀬氏は豊田氏にこう言います。「運転のことも分からない人に、クルマのことをああだこうだと言われたくない」。呆然とする豊田氏にこう続けます。「月に一度でもいい、もしその気があるなら、俺が運転を教えるよ」。以来、豊田氏は成瀬氏の弟子として、厳しいドライビングレッスンを受け、最終的には、世界一過酷なレース「ニュルブルクリンク24時間耐久レース」に出走します。一部のマスコミは、豊田氏のレース出走に関して、「道楽」と非難しましたが、その歩みを知ると、彼が社長になるための試練として、この過程が必要だったことが分かるでしょう。巨大企業にゆっくりと、成瀬氏の言葉はしみこみ、やがて豊田氏の心を動かします。

 

 「蕎麦が不味ければ、いくら天ぷらをのっけても意味はない。クルマはその味を追及して初めて良くなる」

 「クルマと会話をするんですよ。クルマは生き物だから。でも、計算だけでつくっているクルマがある。それは家電です」

 「踏んづけられるほど土に生える野菜はうまくなるんだ、俺は絶対に頭は下げねえぞ」

 

 豊田氏が社長就任して以降、レクサス暴走事故や東日本大震災など、数多の試練が襲いましたが、それらを乗り越えられたのも、「成瀬さんの存在が大きかった」と著者の取材に答えています。そして、11年6月23日、豊田氏が社長に就任してちょうど1年を経た日。成瀬弘は、レクサスLFAの開発中の事故で命を落とします。享年67。

 

 豊田氏は、今回の本のために3回も取材の機会を設けてくれました。また著者は独ニュルブルクリンクでの24時間レース出走にも密着しています。豊田氏の内側からこぼれる「肉声」を著者は丁寧に拾いました。約7万人の従業員を抱える巨大企業に、テストドライバーという視点から照射した本作を読めば、豊田章男という経営者の新たな一面が見えてくると思います。

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著者プロフィール:稲泉連(いないずみ・れん)

1979年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2005年に『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』(中公文庫)で大宅賞を受賞。主な著書に『仕事漂流 就職氷河期世代の「働き方」』(文春文庫)、『命をつなげ 東日本大震災、大動脈復旧への戦い』 (新潮文庫) 、『ドキュメント 豪雨災害――そのとき人は何を見るか』(岩波新書)などがある。

大宅賞作家が5年かけて執筆した『豊田章男が愛したテストドライバー』。この師弟の存在なくして、トヨタ再生は語れない!