父に反発し、祖父を崇拝。甘えん坊でわがままだった少年が“右翼の独裁者”となった半生を圧倒的取材で描く『安倍晋三 沈黙の仮面』

 

 安倍晋三・首相は、自ら「右翼の軍国主義者と呼ぶなら呼べばいい」と公言し、タカ派色をむしろ前面に押し出す。それにより、いわゆるネトウヨや対外強硬姿勢を支持する保守派の喝采を浴びてきた。一方で、国会では数に頼った強引な政権運営が目立ち、党や内閣の人事では「お友達」と呼ばれる側近ばかり登用していると批判される。強気と弱気が混淆したような特異なキャラクターは、永田町で「ガラスのシンゾウ(心臓・晋三)」とも称される。

「晋ちゃんには、一旦思い込んだら何が何でもやり通さないと収まらない頑固さがある」

 ――とは、「安倍家の生き字引」と呼ばれた養育係・久保ウメの言葉である。ウメは安倍首相が2歳5か月で「おむつが取れるかどうかという頃」から、小泉政権で官房副長官、幹事長を務めた時代まで40年以上にわたって安倍家に仕え、独身を通した。両親が不在がちだった安倍家の幼い兄弟にとっては母親代わりの存在であり、晋三少年はいつもウメに「おんぶ」をねだり、中学生になっても彼女のふとんに潜り込んできて、「こっちのほうが、あったかいや」と甘えたという。

 ウメは安倍家の遠縁でもあり、メディアの取材を受けることはなかったが、唯一、本書の著者のインタビューのみ受諾した。それは、後述するように著者が安倍家に最も食い込み、信頼されたジャーナリストだったからでもあるし、ウメ自身が著者に明かしたように、「いつか私が見た岸家と安倍家の本を書きたい」という願望があったからでもある。

無題

久保ウメ(当時78歳)と著者(2003年8月。山口県長門市青海島にて)

 甘えん坊で頑固、自分の思い通りにならないと癇癪を起こした晋三少年は、ウメを手こずらせた。いたずらなら、まだいい。問題は学校の宿題をやらないことだったという。

「『宿題みんな済んだね?』と聞くと、晋ちゃんは『うん、済んだ』と言う。寝たあとに確かめると、ノートは真っ白。それでも次の日は『行ってきまーす』と元気よく家を出ます。それが安倍晋三でした。たいした度胸だった。

 でも、学校でそれが許されるはずはない。あと1週間でノートを全部埋めてきなさいと罰が出る。ノート1冊を埋めるのは大変です。私がかわりに左手で書いて、疲れるとママに代わった」(ウメ)

 両親の愛に飢え、母代りのウメを困らせて寂しさを埋めていた少年は、一方で「優しいおじいちゃん」だった岸信介・元首相に溺愛され、依存した。東京・渋谷の南平台にあった岸邸で日々、夕食を摂っていた頃、塀の外には日米安保改定に反対するデモ隊が連日押し寄せていた。安倍氏は“おじいちゃんの敵”であるリベラル派を憎悪するようになった。

 長じた安倍氏は、成蹊大学時代にはアルファロメオで通学し、友人と雀荘に通い詰め、学習院大のアーチェリー部との“合コン”に青春を燃やした。この頃は政治的な言動は鳴りを潜めていたが、友人たちは憲法改正について熱弁を振るう姿も覚えている。

 大学卒業後はアメリカに留学するが、名門である南カリフォルニア大学での勉強は1年足らずで挫折し、政治学科の単位はゼロ。ホームシックから連日、日本の自宅にコレクトコールをかけ、1か月の電話代が10万円を超えることが続いたため、父・晋太郎氏が「それなら帰国させろ」と激怒したこともあった。

 岸家、安倍家は揃って東大出身の秀才一家だった。高校時代、晋太郎氏から「東大に行け!」と分厚い辞書で頭を叩かれていた晋三氏の姿を、安倍家関係者は著者に語った。そのため安倍氏は自らの学歴を恥じていたと見られており、総理大臣になって出した著書には、成蹊大学卒の学歴も、アメリカ留学も書かれていない。また、安倍内閣には東大出身者が極端に少ないことが知られており、2015年10月に発足した第三次内閣では、公明党の石井啓一・国交相を入れても4人だけである。

image3

 著者の野上忠興氏は、共同通信政治部記者として福田派→安倍派を中心に長く取材した経歴を持ち、安倍晋太郎氏の死の病床を見舞った数少ないメディア関係者でもある。安倍首相本人とは神戸製鋼所勤務時代から面識があり、最も深く安倍家に食い込んだジャーナリストであることは誰もが認めるところである。もとより本書は安倍氏を称賛するために書かれたものでも、批判するために書かれたものでもない。時に強引、独裁的とされる政治運営やタカ派の信条がどのように形成されていったかを丹念に明かしていく構成は、著者が安倍家と離れず、取り込まれずに取材を積み重ねてきた賜物といえるだろう。

 

 著者は本書の掉尾で安倍氏の健康問題を掘り下げている。政界および安倍首相周辺に張り巡らせた取材網により、新聞・テレビでは報じられない総理大臣の深刻な健康状態が克明に書かれている。その衝撃的な中身は本書に譲るが、著者は「あとがき」でこう記す。

<私がしつこく安倍氏の持病を指摘するのは、もちろんそれを批判の材料にしたいからではない。国のトップの体調は政治、ひいては国益に直結するからだ>

 そして、安倍氏が本当に体調に問題ないのなら、かつて天皇陛下がそうしたように、医師団に嘘偽りない病状を説明させるべきだと安倍氏に迫る。その安倍氏は著者に、

「野上さん、もう身体のほうは良くなったから、これからは『健康不安』『健康不安』とは書かないでね」

 と頼み込んできたという。著者はそれを許さない。親しいからこそ、そして安倍氏が誰よりも重い責任を負う立場だからこそ、厳しく突き放し、取材結果を本書で詳らかにした。

 父・晋太郎氏は生前、著者に息子の将来を案じる言葉を残していた。

「晋三には、政治家に必要な情というものがない。あれでは駄目だ」

 著者は本書の本文を以下のような言葉で締めくくっている。

<安倍晋三の物語は現在も進行中であり、それは国民を巻き込む重大なシナリオと重なっている。個人史ではすまない。少なくとも、岸や晋太郎には、そういう地位の重さを感じ、器量を見せる者がまとう迫力と覇気があった。安倍がそのオーラを身に付ける日が、いつか来るのだろうか>

 安倍氏を支持する立場から読んでも、批判的な目で読んでも、目からウロコが落ちる唯一無二のバイオグラフィーである。

本書の内容はこちら

著者/野上忠興(のがみ・ただおき)

1940年、東京生まれ。1964年、早稲田大学政治経済学部卒。共同通信社社会部、横浜支局を経て1972年、本社政治部勤務。佐藤栄作、田中角栄両首相番を振り出しに、自民党福田派→安倍派を中心に取材。野党、外務省、自民党(2回)各担当キャップ、政治部次長、整理部長、静岡支局長などを歴任後、2000年にフリー転身。政治ジャーナリストとして月刊誌、週刊誌で政治レポートを執筆するかわたら、講義・講演活動も。

 

父に反発し、祖父を崇拝。甘えん坊でわがままだった少年が“右翼の独裁者”となった半生を圧倒的取材で描く『安倍晋三 沈黙の仮面』