勤続74年! 104歳を迎える日野原重明医師が満を持して語り継ぐ聖路加国際病院で見つめた太平洋戦争秘話と魂のメッセージ。25日刊行記念会見速報も!!

 

 戦後70年を迎えた今年、数多くの太平洋戦争関連の書籍が刊行されました。そのなかで、本書は聖路加国際病院を舞台に戦争の異色な様相を伝える一冊です。

 その語り部は、この10月4日で104歳を迎える現役医師の日野原重明先生。これまで太平洋戦争のことは断片的にしか記してこられなかった日野原先生ですが、本書では聖路加国際病院で見つめた戦中戦後が心を解き放つかのように語られています。

 その理由は3つあります。

 ひとつは、いのちを大切にする社会を築くために必要な勇気を子どもたちに伝えること。
 ひとつは「聖路加国際病院」というアメリカと深いかかわりと歴史をもつ病院で起こった特異な出来事を俯瞰的に伝える機会と考えたこと。
 もうひとつは、日野原先生が現在に至るまで長く携わる高等看護教育の女子専門学校の学生たちが戦時下に耐え、行動したことをとおして、人は逆境のなかでも成長できると伝えることがあげられます。

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戦時中、聖路加女子専門学校から改称させられた「興健女子専門学校」の校旗を掲げて救護訓練に集合した学生たち。1943年(昭和18)。

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1945年(昭和20)5月17日にアメリカ軍機から投下されたビラ(伝単)。裏面には「聖路加国際病院は爆撃しない」とも取れる文が書かれていた。

1945年(S20)9月 接収された旧館と木造旧館は米国陸軍病院となった。病院屋上には星条旗が見える 4編

日本政府が降伏文書に調印した10日後にはGHQから病院施設接収の命令が下る。わずか2週間で明け渡し「米国陸軍第42病院」となった本館(現在は旧館)。屋上には星条旗が見える。
すべての建物が返還されるまで10年8か月の時を要した。

*写真全点とも提供 聖路加国際大学 大学史編纂・資料室

 

 日野原先生は太平洋戦争がはじまった1941年に内科医として聖路加国際病院に就職、以来勤続74年という歴史をつむぐ戦争の生き証人です。

 病院名を「大東亜中央病院」と改称させられたり、スパイ容疑をかけられたり、戦争の不条理や東京大空襲で運ばれた1000人を超える負傷者を前に救えなかった数多くのいのちに医師としての無力さを味わった日野原先生。病院のロビーに皆で集まり玉音放送を聞いた8月15日、「いのちを大切にする社会を築いていこう」と固く決意をします。

 その思いは、どうすれば戦争を知らない子どもたちとその親世代に共感してもらえるか。日野原先生は惨状を伝える戦争体験記から一歩踏み出し、魂のメッセージを込めました。 

 

「戦争やいじめは、人間が人間を愛したり尊敬したりするあたりまえの心を狂わせてしまうおそろしいものです」
「人が人のいのちを奪うことを強要する戦争と、いじめはとても似ています」
「いじめに参加しなければ、自分もいじめられてしまうから仕方なくいじめる側にまわってしまう・・これは、正しいことを正しいと言えなかった戦時中と同じです」

 

戦争はいじめと同じだというスタンスで、いじめの時代に生きる子どもたちに語りかけたのです。

「戦争は絶対にしてはいけないことときみたちが声をあげてほしい」
「勇気をもって自分が正しいと思ったことを声に出すこと」
「にくい相手をゆるす勇気を出して、争いを断ち切ってほしい」

 本書の発売と時を同じくして安保関連法案が可決された今、「いのちを大切にする社会」と平和な未来を担う子どもたちに送る日野原先生のメッセージはより深い意味をもちました。

9月25日出版記念記者会見の模様はこちら

本書の内容はこちら

obi_00332015年8月聖路加国際病院前にて撮影

著者プロフィール:日野原重明(ひのはら・しげあき) 

1911年(明治44)10月4日、山口県生まれ。太平洋戦争が開戦した1941年に聖路加国際病院の内科医として勤務。以来、同病院の院長などを経て、現在は聖路加国際大学名誉理事長、聖路加国際病院名誉院長を務める。いのちと平和への思いを子どもたちに伝える「いのちの授業」や講演も行っている。2005年文化勲章受章。

勤続74年! 104歳を迎える日野原重明医師が満を持して語り継ぐ聖路加国際病院で見つめた太平洋戦争秘話と魂のメッセージ。25日刊行記念会見速報も!!